関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋 -5ページ目

【小説:小早川秀秋】秀詮の死

 秀詮の家臣、村山越中は短気な性格で、日
頃から杉原重治と意見が対立していた。
 狂った秀詮の言動で政情不安な中、杉原が
村山に斬り殺されるという事件は誰もが恐れ
ていたことだった。
 秀詮のもとに知らせがあり真意を確かめよ
うとした時には、すでに村山は逃亡し、杉原
の死体は家族のもとに移されていた。
 杉原重治の嫡男、重季は秀詮が姿を見せる
と狂ったように罵声を浴びせた。
「なぜ、父上がこのように変わり果てた姿に
ならなければいけないのですか。殿にどれだ
け父上が忠義をつくしたか。これがその返礼
なら、私は殿と刺し違えて死に、父上に会っ
て殿に騙されていたことを告げたいと思いま
す」
 重季が刀に手をかけたところで周りの者が
慌ててとめ、押さえつけた。
 秀詮はそれが演技だとは思えず、本当に杉
原重治が死んだのではないかと動揺した。そ
してとっさに杉原の顔にかぶせてあった布を
はぐった。その死体の顔面は誰か分からない
ように何かで殴られたような無残な状態で、
着物や身に着けていた道具、背格好だけで杉
原重治と決めつけていたようだった。
(この者は私のために重治の身代わりとなっ
て殺されたのか)
 秀詮はそれを見た瞬間、冷静になると同時
に狂ったふりをした。
「へへへ、村山、天晴れじゃ。わしの命じた
とおり、よう誅殺した。わしに逆らう者は誰
であろうとこうなるのじゃ。重季、わしと刺
し違えるじゃと、無礼な。そんなに重治に会
いたいならその望みを叶えてやろう。そなた
に切腹を申しつける。即刻用意せい」
「望むところだ。こんな馬鹿殿に仕えた父上
が哀れじゃ。あの世で父上に存分に孝行する
わ」
 秀詮は重季の目を見た。涙を流しながら訴
えるその目は自分を慕っている目だった。
(重季、すまない)
 秀詮が弱気になりそうになると重季はにら
みつけて秀詮に我慢を促した。
 この事件をきっかけに家臣の秀詮に対する
不信と憎悪は増していった。
 やがて他の諸大名にも秀詮の奇行や失態が
知れ渡り、家康の耳にも入るようになった。
(小僧ひとり、雑作もない)
 秀詮は時々、上洛して家康に会うこともあっ
たが、家康はやつれた秀詮の健康を気遣い、
報告されてくる悪行を戒めるだけだった。
 本来なら小早川家が廃絶になってもおかし
くない事態が起きていたが、何のお咎(とが)
めもないことに諸大名の誰もが家康の企てと
薄々感じていた。
 家康も暗に秀詮をさらし者にすることで諸
大名に自分の力を誇示するように振る舞った。
(秀詮は怖い相手を怒らせたものだ)
 誰もがそう思い、家康に逆らう者は次第に
いなくなった。

 慶長七年(一六〇二年)
 岡山城は廃墟のように静まりかえっていた。
「稲葉、稲葉、誰か稲葉を知らんか」
 秀詮がそう叫んでいると現れたのは稲葉正
成の義理の子となっていた堀田正吉だった。
「お恐れながら、父上は昨夜、退去しました」
「退去。わしから逃げたのか」
「はっ。追っ手を差し向けましょうか」
「よい。その方はついて行かなかったのか」
「はい」
「ところで、その方は杉原の子の重季がどう
なったか聞いておるか」
「はっ。殿の命じられたとおり切腹をさせた
と聞いております」
「それは稲葉が執り行ったのか」
「はい。そのように聞いております」
(稲葉、うまく逃がしたか)
「それならよい。他の者に伝えよ。わしのも
とを去りたければいつでも去れと」
「はっ」
「わしは少しめまいがする。侍医を呼んで来
い」
「はっ」
 しばらく秀詮が寝屋で横になっていると侍
医の曲直瀬玄朔(まなせげんさく)がやって
来た。
 玄朔の父は漢方医学の名医、道三で、玄朔
はその道三流医学を継承し、皇室の医事にも
かかわっていた。惺窩から頼まれて秀詮の解
毒薬を調合したのも玄朔だった。
「お加減はどうですかな」
「万事整った。今度は私が死ぬ番だ」
「そうですか。では手はずどおり始めさせて
頂きます」
「迷惑をかけるがよろしく頼む」
「いえいえ。それより帝は貴方様にさぞ期待
をされております。くれぐれもお忘れなきよ
うに」
 この時の帝、後陽成天皇は何もかも知って
いた。天皇は過去に織田信長、豊臣秀吉と晩
年に世が乱れることになり、今度の徳川家康
でも同じように乱れることを恐れていた。そ
こで秀詮が徳川家に入り、それを抑制するた
めに働いてくれることを期待していたのだ。
「分かっておる。案ずるな」
「では、解毒薬はこれまでどおり服用してく
ださい。すでに末期の症状が出ている頃合い。
一時、激しく狂った後は寝込み、そのまま二
度と起きることはなりません。すぐに私の従
者を数名遣わせ、これらの者以外は貴方様に
は近づけません。こちらの準備が整い次第、
葬儀の運びとなります」
「分かった」
 秀詮は玄朔の言ったとおり、城内で着物を
乱して刀を振り回し激しく狂うと、バッタリ
と寝込んだ。するとすぐに玄朔の従者が現れ、
秀詮の寝屋のふすまを全て締め切り、病が悪
化するからと理由をつけ、家臣の誰も近づけ
なかった。
 それでも秀詮は念のため衰弱していくフリ
をした。
(これでいい。これで天下を耕す準備ができ
る。皆もそれぞれの場所で芽をだすだろう)
 今でも毒薬が効いていると信じていた平岡
頼勝は留まり、秀詮の最期を見届けて家康に
報告しようと待っていた。
 こうした状況になると家臣の秀詮に対する
憎悪は消え、ほとんどの家臣が秀詮のもとを
離れようとしなかった。そんな家臣に見守ら
れる中、秀詮の死が告げられた。

【小説:小早川秀秋】杉原重治

 大坂の岡山藩の藩邸に戻った正成はすぐに
秀詮のもとに向かった。
「殿、お加減のほうはどうですか」
「うん。惺窩先生からいただいた解毒薬の一
つによく効くものがあった。もう大丈夫だ」
「それは良かった。しかし殿には狂っていた
だかなければなりません」
 正成は毛利秀元との話の中で考えついた秘
策を打ち明けた。
「ただ狂うだけではいけません。家康殿の耳
に入るように、家臣を二、三人殺すぐらいの
覚悟をしていただかなければなりません」
「そのようなことをしたら私は切腹になるで
はないか」
「もしそうなればわれらは兵を挙げます。家
康殿はそうなることを嫌っているからこそ毒
をもっているのだと思います」
「しかし家臣を殺すなど」
「殿、これは戦にございます。この戦、絶対
に勝たねばなりません。大事の前の小事に気
を病んではなりません」
「……」
「それをきっかけに私は逃亡して殿と奥方、
それにお子らの受け入れ先を整えます。殿は
頃合いをみて狂い死んでいただきます。亡が
らの埋葬先は出石郷伊勢宮の満願山成就寺で
す。すでに侍医、住職には手を回しておりま
す」
「それで私は自由の身か」
「申し訳ありませんが、また別人として生き
返っていただきます」
「なに」
「殿が隠遁したところですぐに見つかってし
まいます。それに毛利家に家臣を受け入れて
いただくための条件は、殿が徳川家に入り内
情を探り、毛利家を守り立てることです」
「そのようなことができるのか」
「そのことでこれから惺窩先生に会いに行き
ます。なんとしても成し遂げねばなりません」
 そう言うとすぐに正成は惺窩のもとを訪れ
て毛利家とのやり取りを説明した。
「徳川家に入れるなどと、大胆な」
「そうでも言わなければ毛利家は家臣を受け
入れそうにもありませんでしたので」
「それは分かる。しかし何か策でもあるのか」
「それは先生におすがりするしかありません。
先生の学問は朝廷に影響を与え、家康殿にも
講ずるなど信頼厚いものがあります。その学
問を実践し証明したのはわが殿に他なりませ
ん。先生の一番の門弟といえるのではないで
しょうか」
「確かにそうだが、私の門弟とするにはまだ
まだ知識にとぼしい」
「今すぐではないのです。別人になるのにも
準備が必要です。しばらくは身を潜めてその
機会を待つ時間があります」
「その別人だが、すぐに家康殿には分かるの
では」
「はい。それでいいのです。わが殿が生きて
いたということを知らせることでその能力も
分かるでしょう。また殿がひとり、捨て身で
現れることで家康殿には兵力で攻められると
いう心配が消えます。そもそも殿は徳川家を
救った恩人です。徳川家の大きな力となるこ
とにも気づくでしょう」
「そうなってもらわなければ」
「先生にはご迷惑をおかけしますが、多くの
家臣の生活がかかっています。もう引き下が
ることはできません」
「分かった。私も秀秋殿には世話になり、わ
が学問のすごさを教わった。なにか役に立ち
たいとは思っている。ところで別人にすると
いってもただの門弟では家康殿に会わせるの
は難しい。何か興味を引くような者にしなけ
れば」
「それはおいおい考えてまいりたいと思いま
す」
 備前・岡山城に戻った秀詮は、人が変わっ
たように狂いだし、城下に出ては領民に罵声
を浴びせ乱暴を働いた。また鷹狩や釣りなど
をして遊びほうけ政務もおろそかになった。
しかし、そうした様子を杉原重治は冷静に見
ていた。
 ある夜、秀詮の寝屋に杉原は密かに入った。
 秀詮は狂った振る舞いをすることに悩んで
なかなか眠れない日が続いていたこともあり、
機嫌がよくなかった。
「何じゃ、杉原か。こんな時分に無礼な」
「はっ、お恐れながら、殿の先ごろの様子を
拝見し、なにやらただならぬものを感じまし
た」
「ただならぬものとは何じゃ。さっさと用件
を言え」
「はっ、では率直に申させていただきます。
殿は演技が下手にございます。それでは狂っ
たようには見えません」
「何を申す。わしは狂ってなどおらんぞ」
「それならばよろしいのですが、正成殿も色々
動いているご様子。ぜひ私も加えていただき
たいと思います」
「稲葉がなんじゃ。何をしておるというのじゃ」
「何をしておいでかは存じませんが、殿のた
めに働いておるのは分かります。それに殿の
振る舞いがお変わりになったのも同じ時期か
と」
「では杉原はどうしたいと言うのだ」
「殿が本当に狂ったように見せたいのなら、
もっとも効果があるのは忠義に厚い、諫言を
するものを斬り捨てることです」
「それがお前じゃと言うのか。うぬぼれおっ
て」
「もちろん他の家臣も私より忠義に厚い者は
おりましょう。しかし、私より殿に嫌われて
いる者が他におりましょうや」
「わしがお前を嫌っておるじゃと」
「はい、私は日頃から殿に口うるさくしてい
るものですから皆はそう噂して、心配してく
れている者もおります。その私を斬り捨てれ
ば誰もが殿に逆らわなくなりましょう。それ
が殿をより狂ったようにみせることになりま
す」
「私はそなたを嫌ってなどおらん。日頃の諫
言、心の中で感謝しておった。そなたを斬る
ことなどできるわけがないではないか」
「殿の手をわずらわせる気はありません。敵
を欺くにはまず味方からと申します。これか
ら起きることに驚かず、今のまま狂ったよう
にお振る舞いください」
「何をする気だ」
「私が殿とお会いする日はもういく日もない
でしょう。今までご奉公させていただきあり
がとうございました」
「杉原……」
「では御免」
 杉原は秀詮が何か言おうとしたのをさえぎ
り、足早に寝屋を出て行った。

【小説:小早川秀秋】秘策

 ある日、食事の後、体調の異変を感じた秀
詮はひとり稲葉正成を呼び、全てのことを打
ち明けた。
「どうやら家康が動き出したようだ。一思い
に殺せばいいものを。私は命などほしくはな
い。しかし、実は私には誰も知られていない
側室と子がいる。その子らだけはなんとして
も護りたい。正成、頼む、子らを救ってくれ」
 話を聞いた正成は戸惑った。いずれは家康
のもとで出世しようとすでに準備をしていた
からだ。しかし秀詮が唯一、自分に心を許し
真実を打ち明けてくれたことに心が動いた。
しかし自分だけでは家康に立ち向かうことな
どできない。そこで秀詮を救う手立てを見つ
けるため惺窩のもとに向かった。
「食事に毒を盛られたか。しかし殺さなかっ
たということは病に見せかけるつもりか。先
の合戦で豊臣恩顧の大名が良い働きをしたこ
とが幸いしたな。うかつに殺せば離反する者
も多くいよう。それが秀頼とつながれば今度
こそ天下は二分する。よし、まだ時間はある」
 日頃は冷静で的確に判断する正成が今は惺
窩の指示を待つことしかできないほど混乱し
ていた。
「正成殿は密かに毛利に行き、お家断絶となっ
た場合、秀詮様の家臣の受け入れをしてくれ
るかどうか探りなさい。小早川の名を返上す
ると言えば、無下にはできないでしょう。側
室と子のことはほっときなさい。今はそのほ
うが安全です。私は解毒薬を用意します」
 この頃、秀詮は大坂にある岡山藩の藩邸に
来ていた。
 その後も体調は悪化する一方で、食事の前
には幻聴、幻覚に悩まされ、食事を摂ると気
分が良くなるといった状態を繰り返していた。
 そんなある日、秀詮の兄、木下勝俊改め長
嘯子(ちょうしょうし)がふらっとやって来
た。
 長嘯子は豊臣秀吉の縁者というだけで播磨・
龍野城主になり、後に若狭・小浜城主となっ
た。北条の小田原征伐や朝鮮出兵にも参陣し
たが、移動の途中に歌を詠むなど戦う緊張感
はまったくなく、すでにこの頃から武士とし
ての気質に欠けていた。
 関ヶ原の合戦後は京の東山に隠居し、歌人
として生きる道を選んでいた。
「秀秋はどこか身体が悪いのか。惺窩先生か
ら薬を預かってきた」
「それはありがとうございます。なに、たい
したことはありません。少し疲れが出ただけ
です」
「それならよいが。無理をせんように。薬は
五種類あって一つずつ服用するように、身体
にあわないものは発疹が出るから止めるよう
に。全てあわなければ別の薬を用意すると惺
窩先生がおっしゃっておった」
「そうですか」
 長嘯子の目には秀詮が落胆したように見え
た。
「秀秋どうじゃ、いっそわしのように隠居し
ては。もう刀や槍を振りかざす時代でもある
まい」
「はい。そうですね。それもいいかもしれま
せんね。しかし私には兄のように歌の才はあ
りませんし……」
「なになに、秀秋は幼き頃より遊びの才があっ
たではないか。何でも良いのじゃ。まだ若い
のだから気長にやりたいことをみつければよ
い」
「はい。兄上と話していると気分が晴れます」
 秀詮と長嘯子は時を忘れて話し込んだ。
 その頃、惺窩の指示を受けた稲葉正成は密
かに長門の毛利家に向かっていた。
 毛利家は豊臣秀吉の時代には安芸、周防、
長門、石見、出雲、備後、隠岐の七ヵ国を所
領とした百二十万石の大大名だったが、関ヶ
原の合戦で毛利輝元は大坂城に入り秀吉の嫡
男、秀頼を守るという理由で動かず、その名
代で関ヶ原に向かわせた毛利秀元と吉川広家
の部隊は戦いが始まっても動かず、最後まで
西軍とも東軍とも言えない挙動をした。その
ため石田三成と通じていた安国寺恵瓊は責任
をすべてかぶり、捕らえられた三成と供に六
条河原で斬首にされた。また、輝元が大坂城
から退く時も家康に不信を抱かせたことで西
から反乱軍が出たのは西の統治者である毛利
家の失態とされ、輝元は改易されそうになっ
た。しかし吉川広家が家康に直談判して広家
の所領になるはずだった周防、長門二カ国の
三十万石を輝元の所領とすることで改易は免
れた。そのため百二十万石からの大幅な減封
になっていた。
 今、輝元は家督を六歳の秀就に譲り、自ら
は隠居の身となったが、大坂に留め置かれて
いた。
 このような状況の中、稲葉正成が長門の毛
利家を訪れても歓迎されるはずはなかった。
 ようやく会うことができたのは幼い秀就の
後見人となっていた毛利秀元だった。
「なに用か」
 全てを拒否するようにはき捨てた言葉に正
成は結論から話してみることにした。
「はっ。わが殿は小早川の名を返上したいと
考えております」
「なんと」
「ご存知のようにわが殿は備前、美作五十一
万石の加増となりました。その領地は荒廃し
ておりましたが、岡山城を改築し以前の二倍
の外堀をわずか二十日間で完成させ、検地の
実施、寺社の復興、道の改修、農地の整備な
どをおこない早急に復興させました。これは
ひとえに今は亡き隆景様の家臣の働きによる
もの。殿はそのご恩に報いるためいずれは小
早川の名を返上したいと常日頃考えておられ
たのです」
 この時、正成はある秘策を思いつき、とっ
さに真実を打ち明けることにした。
「今、殿は何者かに毒を盛られ体調を崩して
おります」
「なに、それは誠か。確かなのか」
「はい。嘘偽りではございません。幸いと申
しますか、殿には世継ぎがおりません。そこ
でいっそこのまま死のうかと」
「待て待て、毒を盛られていると分かってい
るのなら治療はできんのか」
「無理にございます。仮に治療できたとして、
この世に生きる場所などありましょうか」
「しかし、死を受け入れるとは」
「わが殿はまた蘇ります」
「……」
「いずれ名を変え身分を変えて徳川家に入ら
れます。そうすれば毛利家のお役に立てるの
ではないでしょうか」
「そのようなことができるのか」
「はい。それしか豊臣家の縁者である殿の生
きる術はありません。虎穴に入らずんば虎児
を得ずと申します。徳川家の懐に入ることこ
そ安全と考えておいでです」
「それで我らになにを」
「殿が亡くなりました後、残された家臣のい
くらかをお引き受けください。きっとお役に
立つと思います」
「それはそうしてやりたいが、われらは減封
されて今も家臣を減らすことで悩んでおる」
「存じております。家臣としてではなくても
よいのです。武士の身分を捨ててもりっぱに
生きていける者が多くいます。荒廃した領地
を復興させた者たちです。どうかお考えくだ
さい」
 秀元はしばらく天井を見上げて考え込んで
いたが、意を決した。
「そこまでの覚悟を決めておるのなら考えて
みよう」
「ははっ、ありがたき幸せ。なお、このこと
はくれぐれもご内密に」
 正成は深々と頭を下げ、この大役を成し遂
げた。