【小説:小早川秀秋】秀詮の死 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:小早川秀秋】秀詮の死

 秀詮の家臣、村山越中は短気な性格で、日
頃から杉原重治と意見が対立していた。
 狂った秀詮の言動で政情不安な中、杉原が
村山に斬り殺されるという事件は誰もが恐れ
ていたことだった。
 秀詮のもとに知らせがあり真意を確かめよ
うとした時には、すでに村山は逃亡し、杉原
の死体は家族のもとに移されていた。
 杉原重治の嫡男、重季は秀詮が姿を見せる
と狂ったように罵声を浴びせた。
「なぜ、父上がこのように変わり果てた姿に
ならなければいけないのですか。殿にどれだ
け父上が忠義をつくしたか。これがその返礼
なら、私は殿と刺し違えて死に、父上に会っ
て殿に騙されていたことを告げたいと思いま
す」
 重季が刀に手をかけたところで周りの者が
慌ててとめ、押さえつけた。
 秀詮はそれが演技だとは思えず、本当に杉
原重治が死んだのではないかと動揺した。そ
してとっさに杉原の顔にかぶせてあった布を
はぐった。その死体の顔面は誰か分からない
ように何かで殴られたような無残な状態で、
着物や身に着けていた道具、背格好だけで杉
原重治と決めつけていたようだった。
(この者は私のために重治の身代わりとなっ
て殺されたのか)
 秀詮はそれを見た瞬間、冷静になると同時
に狂ったふりをした。
「へへへ、村山、天晴れじゃ。わしの命じた
とおり、よう誅殺した。わしに逆らう者は誰
であろうとこうなるのじゃ。重季、わしと刺
し違えるじゃと、無礼な。そんなに重治に会
いたいならその望みを叶えてやろう。そなた
に切腹を申しつける。即刻用意せい」
「望むところだ。こんな馬鹿殿に仕えた父上
が哀れじゃ。あの世で父上に存分に孝行する
わ」
 秀詮は重季の目を見た。涙を流しながら訴
えるその目は自分を慕っている目だった。
(重季、すまない)
 秀詮が弱気になりそうになると重季はにら
みつけて秀詮に我慢を促した。
 この事件をきっかけに家臣の秀詮に対する
不信と憎悪は増していった。
 やがて他の諸大名にも秀詮の奇行や失態が
知れ渡り、家康の耳にも入るようになった。
(小僧ひとり、雑作もない)
 秀詮は時々、上洛して家康に会うこともあっ
たが、家康はやつれた秀詮の健康を気遣い、
報告されてくる悪行を戒めるだけだった。
 本来なら小早川家が廃絶になってもおかし
くない事態が起きていたが、何のお咎(とが)
めもないことに諸大名の誰もが家康の企てと
薄々感じていた。
 家康も暗に秀詮をさらし者にすることで諸
大名に自分の力を誇示するように振る舞った。
(秀詮は怖い相手を怒らせたものだ)
 誰もがそう思い、家康に逆らう者は次第に
いなくなった。

 慶長七年(一六〇二年)
 岡山城は廃墟のように静まりかえっていた。
「稲葉、稲葉、誰か稲葉を知らんか」
 秀詮がそう叫んでいると現れたのは稲葉正
成の義理の子となっていた堀田正吉だった。
「お恐れながら、父上は昨夜、退去しました」
「退去。わしから逃げたのか」
「はっ。追っ手を差し向けましょうか」
「よい。その方はついて行かなかったのか」
「はい」
「ところで、その方は杉原の子の重季がどう
なったか聞いておるか」
「はっ。殿の命じられたとおり切腹をさせた
と聞いております」
「それは稲葉が執り行ったのか」
「はい。そのように聞いております」
(稲葉、うまく逃がしたか)
「それならよい。他の者に伝えよ。わしのも
とを去りたければいつでも去れと」
「はっ」
「わしは少しめまいがする。侍医を呼んで来
い」
「はっ」
 しばらく秀詮が寝屋で横になっていると侍
医の曲直瀬玄朔(まなせげんさく)がやって
来た。
 玄朔の父は漢方医学の名医、道三で、玄朔
はその道三流医学を継承し、皇室の医事にも
かかわっていた。惺窩から頼まれて秀詮の解
毒薬を調合したのも玄朔だった。
「お加減はどうですかな」
「万事整った。今度は私が死ぬ番だ」
「そうですか。では手はずどおり始めさせて
頂きます」
「迷惑をかけるがよろしく頼む」
「いえいえ。それより帝は貴方様にさぞ期待
をされております。くれぐれもお忘れなきよ
うに」
 この時の帝、後陽成天皇は何もかも知って
いた。天皇は過去に織田信長、豊臣秀吉と晩
年に世が乱れることになり、今度の徳川家康
でも同じように乱れることを恐れていた。そ
こで秀詮が徳川家に入り、それを抑制するた
めに働いてくれることを期待していたのだ。
「分かっておる。案ずるな」
「では、解毒薬はこれまでどおり服用してく
ださい。すでに末期の症状が出ている頃合い。
一時、激しく狂った後は寝込み、そのまま二
度と起きることはなりません。すぐに私の従
者を数名遣わせ、これらの者以外は貴方様に
は近づけません。こちらの準備が整い次第、
葬儀の運びとなります」
「分かった」
 秀詮は玄朔の言ったとおり、城内で着物を
乱して刀を振り回し激しく狂うと、バッタリ
と寝込んだ。するとすぐに玄朔の従者が現れ、
秀詮の寝屋のふすまを全て締め切り、病が悪
化するからと理由をつけ、家臣の誰も近づけ
なかった。
 それでも秀詮は念のため衰弱していくフリ
をした。
(これでいい。これで天下を耕す準備ができ
る。皆もそれぞれの場所で芽をだすだろう)
 今でも毒薬が効いていると信じていた平岡
頼勝は留まり、秀詮の最期を見届けて家康に
報告しようと待っていた。
 こうした状況になると家臣の秀詮に対する
憎悪は消え、ほとんどの家臣が秀詮のもとを
離れようとしなかった。そんな家臣に見守ら
れる中、秀詮の死が告げられた。