【小説:小早川秀秋】秘策 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:小早川秀秋】秘策

 ある日、食事の後、体調の異変を感じた秀
詮はひとり稲葉正成を呼び、全てのことを打
ち明けた。
「どうやら家康が動き出したようだ。一思い
に殺せばいいものを。私は命などほしくはな
い。しかし、実は私には誰も知られていない
側室と子がいる。その子らだけはなんとして
も護りたい。正成、頼む、子らを救ってくれ」
 話を聞いた正成は戸惑った。いずれは家康
のもとで出世しようとすでに準備をしていた
からだ。しかし秀詮が唯一、自分に心を許し
真実を打ち明けてくれたことに心が動いた。
しかし自分だけでは家康に立ち向かうことな
どできない。そこで秀詮を救う手立てを見つ
けるため惺窩のもとに向かった。
「食事に毒を盛られたか。しかし殺さなかっ
たということは病に見せかけるつもりか。先
の合戦で豊臣恩顧の大名が良い働きをしたこ
とが幸いしたな。うかつに殺せば離反する者
も多くいよう。それが秀頼とつながれば今度
こそ天下は二分する。よし、まだ時間はある」
 日頃は冷静で的確に判断する正成が今は惺
窩の指示を待つことしかできないほど混乱し
ていた。
「正成殿は密かに毛利に行き、お家断絶となっ
た場合、秀詮様の家臣の受け入れをしてくれ
るかどうか探りなさい。小早川の名を返上す
ると言えば、無下にはできないでしょう。側
室と子のことはほっときなさい。今はそのほ
うが安全です。私は解毒薬を用意します」
 この頃、秀詮は大坂にある岡山藩の藩邸に
来ていた。
 その後も体調は悪化する一方で、食事の前
には幻聴、幻覚に悩まされ、食事を摂ると気
分が良くなるといった状態を繰り返していた。
 そんなある日、秀詮の兄、木下勝俊改め長
嘯子(ちょうしょうし)がふらっとやって来
た。
 長嘯子は豊臣秀吉の縁者というだけで播磨・
龍野城主になり、後に若狭・小浜城主となっ
た。北条の小田原征伐や朝鮮出兵にも参陣し
たが、移動の途中に歌を詠むなど戦う緊張感
はまったくなく、すでにこの頃から武士とし
ての気質に欠けていた。
 関ヶ原の合戦後は京の東山に隠居し、歌人
として生きる道を選んでいた。
「秀秋はどこか身体が悪いのか。惺窩先生か
ら薬を預かってきた」
「それはありがとうございます。なに、たい
したことはありません。少し疲れが出ただけ
です」
「それならよいが。無理をせんように。薬は
五種類あって一つずつ服用するように、身体
にあわないものは発疹が出るから止めるよう
に。全てあわなければ別の薬を用意すると惺
窩先生がおっしゃっておった」
「そうですか」
 長嘯子の目には秀詮が落胆したように見え
た。
「秀秋どうじゃ、いっそわしのように隠居し
ては。もう刀や槍を振りかざす時代でもある
まい」
「はい。そうですね。それもいいかもしれま
せんね。しかし私には兄のように歌の才はあ
りませんし……」
「なになに、秀秋は幼き頃より遊びの才があっ
たではないか。何でも良いのじゃ。まだ若い
のだから気長にやりたいことをみつければよ
い」
「はい。兄上と話していると気分が晴れます」
 秀詮と長嘯子は時を忘れて話し込んだ。
 その頃、惺窩の指示を受けた稲葉正成は密
かに長門の毛利家に向かっていた。
 毛利家は豊臣秀吉の時代には安芸、周防、
長門、石見、出雲、備後、隠岐の七ヵ国を所
領とした百二十万石の大大名だったが、関ヶ
原の合戦で毛利輝元は大坂城に入り秀吉の嫡
男、秀頼を守るという理由で動かず、その名
代で関ヶ原に向かわせた毛利秀元と吉川広家
の部隊は戦いが始まっても動かず、最後まで
西軍とも東軍とも言えない挙動をした。その
ため石田三成と通じていた安国寺恵瓊は責任
をすべてかぶり、捕らえられた三成と供に六
条河原で斬首にされた。また、輝元が大坂城
から退く時も家康に不信を抱かせたことで西
から反乱軍が出たのは西の統治者である毛利
家の失態とされ、輝元は改易されそうになっ
た。しかし吉川広家が家康に直談判して広家
の所領になるはずだった周防、長門二カ国の
三十万石を輝元の所領とすることで改易は免
れた。そのため百二十万石からの大幅な減封
になっていた。
 今、輝元は家督を六歳の秀就に譲り、自ら
は隠居の身となったが、大坂に留め置かれて
いた。
 このような状況の中、稲葉正成が長門の毛
利家を訪れても歓迎されるはずはなかった。
 ようやく会うことができたのは幼い秀就の
後見人となっていた毛利秀元だった。
「なに用か」
 全てを拒否するようにはき捨てた言葉に正
成は結論から話してみることにした。
「はっ。わが殿は小早川の名を返上したいと
考えております」
「なんと」
「ご存知のようにわが殿は備前、美作五十一
万石の加増となりました。その領地は荒廃し
ておりましたが、岡山城を改築し以前の二倍
の外堀をわずか二十日間で完成させ、検地の
実施、寺社の復興、道の改修、農地の整備な
どをおこない早急に復興させました。これは
ひとえに今は亡き隆景様の家臣の働きによる
もの。殿はそのご恩に報いるためいずれは小
早川の名を返上したいと常日頃考えておられ
たのです」
 この時、正成はある秘策を思いつき、とっ
さに真実を打ち明けることにした。
「今、殿は何者かに毒を盛られ体調を崩して
おります」
「なに、それは誠か。確かなのか」
「はい。嘘偽りではございません。幸いと申
しますか、殿には世継ぎがおりません。そこ
でいっそこのまま死のうかと」
「待て待て、毒を盛られていると分かってい
るのなら治療はできんのか」
「無理にございます。仮に治療できたとして、
この世に生きる場所などありましょうか」
「しかし、死を受け入れるとは」
「わが殿はまた蘇ります」
「……」
「いずれ名を変え身分を変えて徳川家に入ら
れます。そうすれば毛利家のお役に立てるの
ではないでしょうか」
「そのようなことができるのか」
「はい。それしか豊臣家の縁者である殿の生
きる術はありません。虎穴に入らずんば虎児
を得ずと申します。徳川家の懐に入ることこ
そ安全と考えておいでです」
「それで我らになにを」
「殿が亡くなりました後、残された家臣のい
くらかをお引き受けください。きっとお役に
立つと思います」
「それはそうしてやりたいが、われらは減封
されて今も家臣を減らすことで悩んでおる」
「存じております。家臣としてではなくても
よいのです。武士の身分を捨ててもりっぱに
生きていける者が多くいます。荒廃した領地
を復興させた者たちです。どうかお考えくだ
さい」
 秀元はしばらく天井を見上げて考え込んで
いたが、意を決した。
「そこまでの覚悟を決めておるのなら考えて
みよう」
「ははっ、ありがたき幸せ。なお、このこと
はくれぐれもご内密に」
 正成は深々と頭を下げ、この大役を成し遂
げた。