【小説:小早川秀秋】杉原重治 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:小早川秀秋】杉原重治

 大坂の岡山藩の藩邸に戻った正成はすぐに
秀詮のもとに向かった。
「殿、お加減のほうはどうですか」
「うん。惺窩先生からいただいた解毒薬の一
つによく効くものがあった。もう大丈夫だ」
「それは良かった。しかし殿には狂っていた
だかなければなりません」
 正成は毛利秀元との話の中で考えついた秘
策を打ち明けた。
「ただ狂うだけではいけません。家康殿の耳
に入るように、家臣を二、三人殺すぐらいの
覚悟をしていただかなければなりません」
「そのようなことをしたら私は切腹になるで
はないか」
「もしそうなればわれらは兵を挙げます。家
康殿はそうなることを嫌っているからこそ毒
をもっているのだと思います」
「しかし家臣を殺すなど」
「殿、これは戦にございます。この戦、絶対
に勝たねばなりません。大事の前の小事に気
を病んではなりません」
「……」
「それをきっかけに私は逃亡して殿と奥方、
それにお子らの受け入れ先を整えます。殿は
頃合いをみて狂い死んでいただきます。亡が
らの埋葬先は出石郷伊勢宮の満願山成就寺で
す。すでに侍医、住職には手を回しておりま
す」
「それで私は自由の身か」
「申し訳ありませんが、また別人として生き
返っていただきます」
「なに」
「殿が隠遁したところですぐに見つかってし
まいます。それに毛利家に家臣を受け入れて
いただくための条件は、殿が徳川家に入り内
情を探り、毛利家を守り立てることです」
「そのようなことができるのか」
「そのことでこれから惺窩先生に会いに行き
ます。なんとしても成し遂げねばなりません」
 そう言うとすぐに正成は惺窩のもとを訪れ
て毛利家とのやり取りを説明した。
「徳川家に入れるなどと、大胆な」
「そうでも言わなければ毛利家は家臣を受け
入れそうにもありませんでしたので」
「それは分かる。しかし何か策でもあるのか」
「それは先生におすがりするしかありません。
先生の学問は朝廷に影響を与え、家康殿にも
講ずるなど信頼厚いものがあります。その学
問を実践し証明したのはわが殿に他なりませ
ん。先生の一番の門弟といえるのではないで
しょうか」
「確かにそうだが、私の門弟とするにはまだ
まだ知識にとぼしい」
「今すぐではないのです。別人になるのにも
準備が必要です。しばらくは身を潜めてその
機会を待つ時間があります」
「その別人だが、すぐに家康殿には分かるの
では」
「はい。それでいいのです。わが殿が生きて
いたということを知らせることでその能力も
分かるでしょう。また殿がひとり、捨て身で
現れることで家康殿には兵力で攻められると
いう心配が消えます。そもそも殿は徳川家を
救った恩人です。徳川家の大きな力となるこ
とにも気づくでしょう」
「そうなってもらわなければ」
「先生にはご迷惑をおかけしますが、多くの
家臣の生活がかかっています。もう引き下が
ることはできません」
「分かった。私も秀秋殿には世話になり、わ
が学問のすごさを教わった。なにか役に立ち
たいとは思っている。ところで別人にすると
いってもただの門弟では家康殿に会わせるの
は難しい。何か興味を引くような者にしなけ
れば」
「それはおいおい考えてまいりたいと思いま
す」
 備前・岡山城に戻った秀詮は、人が変わっ
たように狂いだし、城下に出ては領民に罵声
を浴びせ乱暴を働いた。また鷹狩や釣りなど
をして遊びほうけ政務もおろそかになった。
しかし、そうした様子を杉原重治は冷静に見
ていた。
 ある夜、秀詮の寝屋に杉原は密かに入った。
 秀詮は狂った振る舞いをすることに悩んで
なかなか眠れない日が続いていたこともあり、
機嫌がよくなかった。
「何じゃ、杉原か。こんな時分に無礼な」
「はっ、お恐れながら、殿の先ごろの様子を
拝見し、なにやらただならぬものを感じまし
た」
「ただならぬものとは何じゃ。さっさと用件
を言え」
「はっ、では率直に申させていただきます。
殿は演技が下手にございます。それでは狂っ
たようには見えません」
「何を申す。わしは狂ってなどおらんぞ」
「それならばよろしいのですが、正成殿も色々
動いているご様子。ぜひ私も加えていただき
たいと思います」
「稲葉がなんじゃ。何をしておるというのじゃ」
「何をしておいでかは存じませんが、殿のた
めに働いておるのは分かります。それに殿の
振る舞いがお変わりになったのも同じ時期か
と」
「では杉原はどうしたいと言うのだ」
「殿が本当に狂ったように見せたいのなら、
もっとも効果があるのは忠義に厚い、諫言を
するものを斬り捨てることです」
「それがお前じゃと言うのか。うぬぼれおっ
て」
「もちろん他の家臣も私より忠義に厚い者は
おりましょう。しかし、私より殿に嫌われて
いる者が他におりましょうや」
「わしがお前を嫌っておるじゃと」
「はい、私は日頃から殿に口うるさくしてい
るものですから皆はそう噂して、心配してく
れている者もおります。その私を斬り捨てれ
ば誰もが殿に逆らわなくなりましょう。それ
が殿をより狂ったようにみせることになりま
す」
「私はそなたを嫌ってなどおらん。日頃の諫
言、心の中で感謝しておった。そなたを斬る
ことなどできるわけがないではないか」
「殿の手をわずらわせる気はありません。敵
を欺くにはまず味方からと申します。これか
ら起きることに驚かず、今のまま狂ったよう
にお振る舞いください」
「何をする気だ」
「私が殿とお会いする日はもういく日もない
でしょう。今までご奉公させていただきあり
がとうございました」
「杉原……」
「では御免」
 杉原は秀詮が何か言おうとしたのをさえぎ
り、足早に寝屋を出て行った。