関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋 -274ページ目

不幸な自分に安心する

今日は花粉がよく飛んで花粉症の人は辛い日だったろう。

中にはただのハナタレを花粉症と言っている人もいるよう
な気がする。

病気自慢は仲間はずれや目立つのを嫌う日本人の気質に
あっているのかもしれない。

「自分を傷つける嘘は、相手に安心感と優越感をあたえる」
という虚をうまく実践している例だ。

平和は食事と同じ

平和という言葉ほどあいまいな言葉はない。

誰もが平和を願うが、その中身はぜんぜん違う。

国によって、あるいは家庭によって食文化が違うように、
平和はひとりひとりの考え方によって違う。

例えば、納豆がどんなに健康に良くてもそれを世界中の
人に食べさせることはできない。
(日本でさえ食べない人はいる)

韓国では過去に犬を食べていたが、どう考えてもおいしそ
うには思えない。

鯨を食べる食文化は否定されている。

食文化でさえ争い、統一できないのに平和が統一される
わけがない。

だから世界が平和になるというのは幻想でしかない。

幸運にもひとりひとりのサイズがあり、どが過ぎる幸運は
不幸になる。

不運への備えが幸運を呼ぶ

雨が降ったときの傘のように、不運にあったときに備えとな
るものがあれば、うまく不運をかわすことができる。

遁甲では、常に「引き下がる」ことを考える。

例えば、山に登るとき、目の前に頂上が見えていたとして
もそのまま登れば下山できないと分かれば、すぐに下りる。

山を登頂するというのは、下山できてはじめて達成される。

幸運は片道切符で行ったきりではなく、往復切符で元に戻
る必要がある。

無理をして頂上に登っても、それは無謀であり、妬みや恨
みを呼ぶことになり、新たな不運を招く。

それまでの準備や投資したものがすべて失われるとしても
経験したことや実績は失われない。

人生は目標を達成すれば終わりということはない。
また新しい目標を見つけ進むことになる。
それは、片道ではなく往復できる準備をしておくということ。