関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋 -8ページ目

【小説:小早川秀秋】寝返る者

 合戦が始まって二時間がたった頃には大砲
の爆音は消え、火箭も散発的に飛ぶだけになっ
た。
 石田三成は停滞した流れを変えられるので
はないかと感じていた。それは松尾山の秀秋
と南宮山の毛利秀元らがいまだに東軍として
動きを見せていなかったからだ。これらを寝
返らせることができるかもしれないと思い、
使者を走らせて出陣要請をしたが、いっこう
に動く気配はなかった。そこでやむなく三成、
小西行長、宇喜多秀家、大谷吉継の部隊が動
き一気に決着をつけようとしていた。
 西軍には吉川広家のように家康に内通して、
東軍に寝返る手はずの赤座直保、小川祐忠、
朽木元綱、脇坂安治などの部隊もあったが、
いっこうに動こうとしない。いや、動けなかっ
たのだ。
 東軍は家康に振り回されるように慌てて布
陣し、合戦が始まる時も秀忠の到着を待たず、
井伊直政らの抜け駆けで始まってしまった。
このことで内通する諸大名には家康が何を考
えているか分からず、二つの懸念がわいた。
その一つは東軍の布陣が整っていないのにな
ぜ戦いを始めたのか、これは自分たちと西軍
を戦わせて共倒れをさせようとしているので
はないかという懸念。もう一つはなぜ秀忠が
いないのかということだ。ひょっとして秀忠
の兵を温存しているのではないか。そして自
分達が戦った後、秀忠の三万人を超える兵が
現れ、裏切り者の汚名をきせられて攻撃され
るのではないかと考えをめぐらしていたのだ。
 悪巧みに長けた家康なら合戦が終わった後
のことも計略を練っているだろう。
 この合戦に勝利すれば政治は安定する。そ
うなれば秀吉も考えていたように力だけの武
士は必要なくなる。それに、すぐに寝返るよ
うな者は信用できない。戦った後の疲れきっ
た将兵なら秀忠の部隊だけでも容易く片付け
ることができると考えるのが自然だろう。 
 寝返る者にはそれだけの危険が伴う。そこ
に一瞬の迷いが生じ、戦う機会を失っていた
のだ。
 秀秋は別のことを考えていた。
(秀忠の部隊が到着すれば俺の出る幕はなく
勝敗は決するだろう。この城を奪ったとはい
え何もしない俺の処罰は免れない。だが秀忠
は未だに現れない。これは家康の罠か、それ
とも……。俺の命運はまだ尽きていないのか)
 また違う考えも頭をよぎった。
(今、東軍に攻め入れば西軍が勝てるかもし
れない。しかし今の豊臣家では、いずれまた
戦国の世に逆戻りしてしまう。家康は信長や
秀吉のそばで天下の治め方を見てきた。良く
も悪くも後継者として認めざるをえない)
 それに秀秋は家康に借りがあることを忘れ
てはいなかった。
 朝鮮出兵では手柄をあげたにもかかわらず、
島津家の進言で秀吉に国替えさせられた。そ
れを家康の計らいで赦され所領が元に戻った
ことだ。
 家康の所に礼を言いに出向いた時、小僧扱
いし、笑い者にされたことも忘れてはいなかっ
た。
 秀秋は思い出してこぶしを握り締めた。
(あの時の借りを必ず返し秀忠との出来の違
いを見せつけ、俺の力を思い知らせてやる。
天命があれば島津に一泡吹かせることもでき
よう)
 秀秋は秀忠の所在が分かるまで待つことに
決めた。

【小説:小早川秀秋】徳川家臣

 慶長五年(一六〇〇年)九月十五日
 関ヶ原の朝は豪雨が続いたため薄暗く、台
風並みの激しい西風が吹いていた。
(この空模様では大砲は役に立つまい。三成
が言った「天候もわれらに有利」とはこのこ
とか)
 空を見ていた秀秋は松尾山城の座敷に向か
い関ヶ原の地形図を前に座った。そこへ戦場
を偵察していた兵卒が次々に戻り、地形図に
駒を置き、諸大名の布陣した様子が徐々に明
らかになっていった。
 秀秋の側には稲葉正成、杉原重治、松野重
元、岩見重太郎、平岡頼勝が控えていた。そ
れぞれの表情は硬く、稲葉は地形図から目を
離さない。
 平岡は少しうなだれていた。
 杉原は逆に天井を見ているような姿勢をし
ていた。
 松野は目をつむって瞑想している。
 皆、秀秋にすべてを託し戦った日々を思い
出していた。
 そこへ家康の家臣、奥平貞治が息を切らし
て入って来た。
「秀秋殿、まもなく、始まります。出陣の、
ご準備を……」
 秀秋は地形図を眺めたまま奥平に聞いた。
「出陣。はて、我らがここに入城したことで
勝負はついたはず。後は家康殿が西軍を説得
して降伏させればそれで終わるではないか。
今、我らが出陣してこの城を奪われたらなん
とする。それに秀忠殿はどうした」
 秀忠は信濃・上田城の攻防で大砲はあった
が雨が降ってその能力を発揮できず、てこずっ
ているうちに関ヶ原で決戦との知らせがあり
撤退した。すぐに関ヶ原に向かってはいたが、
ぬかるんだ道や増水した川に行く手を阻まれ、
大砲の移動にも手間取り到着が遅れていた。
 奥平はうつむいて答えた。
「まだ到着しておりませぬ」
 その時突然、山のふもとからときの声が上
がり、そのうち怒号に変わった。先に動いた
のは東軍だった。
 家康が合戦を終結させようとする雲行きに
あせったのは家康の家臣だった。このまま終
わってしまえば徳川家にはなんの功績もなく、
豊臣恩顧の諸大名の発言権が残ってしまう。
それも秀吉と血縁関係にある十九歳の秀秋一
人に手柄をあげられたでは面目丸つぶれだ。
そしてこの優勢な状況が楽勝できるという驕
りを生んだ。ここで西軍を一気に粉砕して徳
川家の世にしようと、先鋒を任された福島正
則をさしおいて、松平忠吉と井伊直政が抜け
駆けした。それを迎え撃つ宇喜多隊が攻撃し
たため戦いが始まってしまったのだ。
 刃を交える音や銃声、大砲と思われる爆音
がけたたましく鳴り響く。
 奥平は見えない外のほうに向き、焦ってつ
い声にした。
「始まった」
 松尾山のふもとを警戒していた兵卒が城内
に響き渡るように叫んだ。
「徳川勢が攻め手。先鋒は井伊直政殿」
 秀秋はため息をついた。
(徳川が……。降伏させればよいものを。自
分の息子も来んのに……。しかしこの大砲の
音。雨でも大砲は使えるのか)
 この時もまだ天候は東軍に不利な激しい西
風と雨が降って、そのうえ霧がたちこめよう
としていた。
 戦場では家康が大砲の性能を過大評価し、
その有効な使い方も分からないまま撃たせよ
うとしていたが、強い風雨で思うように撃て
ない。このことが大砲を最強の武器ではなく
お荷物にしてしまった。そうしむけたのは三
成と吉継の謀略で、これを見越して西軍は野
戦をすることを選び、大砲の射程距離の外に
陣取って動かなかったのだ。
 東軍の軍事顧問になったアダムスは航海士
だったので大砲の使い方までは分からず、ア
ダムスと同じリーフデ号に乗っていた砲術師、
ヤン・ヨーステン(本名、ファン・ローデン
スタイン)は秀忠に同行していた。日本で大
砲を使えそうな加藤清正などは関ヶ原から遠
ざけられていた。
 東軍の部隊は自分たちが圧倒的な優勢だと
思い込み、弾幕と強い風雨の中で先陣争いを
して突き進んだ。これに対して西軍は島津義
弘の運び込んだ火箭が雨の中でも飛ばすこと
が出来、しばらく飛ぶと爆発炎上して東軍の
将兵を広範囲になぎ倒していった。
 秀秋が大砲の爆音だと思っていたのはこの
火箭が爆発する音だった。
 大砲は火薬や弾丸を込めるのに手間がかか
り、向きを少し変えるにも一苦労で白兵戦に
は不向きだが、火箭は移動がしやすくどんな
向きにでもすぐに変えて発射させることがで
きた。そして三成らがあらかじめ関ヶ原の地
形を調べ、伏見城攻撃で使用した経験をもと
に和算を利用して簡単な弾道計算をしていた。
それに加え激しい西風が幸いして射程距離が
伸び性能以上の戦果があった。
 しばらくして戦況を探っていた兵卒が城内
に駆け込んで来た。
「毛利隊、吉川隊は動きません」
 また別の兵卒が続けて駆け込んで来た。
「西軍から火箭と思われる武器の攻撃あり。
赤座隊、小川隊、朽木隊、脇坂隊に動きはあ
りません」
「あの音は火箭か」
 秀秋は西軍にまだ大量の火箭が用意されて
いるのを知り、それで三成と面会した時、劣
勢の兵力でも強気でいたことに納得した。
 戦場では東軍も西軍も交戦している兵の数
に大差はなく、一進一退の攻防が続いていた。
しかしこんな状況でも所々で布陣したまま動
こうとしない部隊があり、この合戦の異様さ
を物語っていた。
 次第に雨がやみ濃霧となった。しかし西風
で徐々に霧は流れ、日も射してきた。しだい
に蒸し暑くなり、血の臭いや死体が焼けて焦
げたような臭いが松尾山にも流れてくるよう
になった。
 兵卒の頬に汗が流れ、腕で鼻をふさぐしぐ
さをした。
 東軍の大砲による本格的な攻撃が始まり、
爆音の後には悲鳴やうめき声が聞こえてきた。
しかし秀秋の部隊は微動だにしなかった。

【小説:小早川秀秋】三成の誤算

 その日の夜
 夕闇の中、松尾山城に突然、三成が供もつ
れず現れた。
 三成は警戒していた兵卒に止められ、場外
で待たされた。しばらくして城内に入ること
を許されて座敷に通されると、そこに秀秋が
座って待っていた。
 三成は秀秋が鮮やかな緋色をした猩々緋羅
紗地の陣羽織を着て大人びた精悍な面構えに
なっていることに威圧され、ひきつった笑い
顔で声をかけた。
「秀秋殿、お加減が悪いと聞いておったが、
よう参られました」
 三成は秀秋がすでに城内いた伊藤を追い出
したことに怒りもせず、ふれようともしない。
 秀秋は意識的に三成と目を合わせるのを避
け遠まわしに話した。
「ここは眺めがいい。どちらの布陣も一望で
きる」
 辺りは暗闇で何も見えなかった。
 三成は秀秋が何を言いたいのか真意を計り
かねていた。
 少し沈黙があり、やっと秀秋のほうから切
り出した。
「秀頼様はどこに」
 三成は戸惑いながら答えた。
「秀頼様は幼きゆえ、ここには……」
「秀頼様が御出ましになれば、家康殿もうか
つに手が出せず、戦うこともなく天下は三成
殿の思うままだったろうに」
「私にそのような欲望はありません。世を乱
す家康を成敗し、秀頼様をお守りするのが亡
き太閤へのご奉公です」
「では総大将はどうした」
「こたびの総大将は秀家殿が務めます。秀家
殿は太閤のご養子。秀頼様の名代としてふさ
わしいお方です。輝元殿のことなら大坂城で
秀頼様をお守りする役目をお引き受けくださ
いました。もしや秀秋殿は総大将になりたかっ
たのでございましたか」
 秀秋は苦笑した。
「この戦はわしの戦ではない。秀頼様が御出
ましにならないのでは、この戦の大儀が分か
らず、将兵の士気も上がらん。輝元殿も腰が
引けておるのに、誰のために戦えと申すのか」
「大儀は誰の目にも明白。豊臣家をないがし
ろにし秩序を乱す家康の討伐です。私利私欲
の合戦ではなく天下万民のために戦っていた
だきたい」
「それで勝算は」
「われらは少数ながら結束は強く、家康が手
に入れた大砲よりも強力な武器があります。
この城にもその武器があったはず。明日にな
れば天候もわれらに有利となりましょう。天
の時、地の利、人の和はわれらにあり。結果
は明らか」
「ほう。では心配ないはず。ここへは何故、
参られた」
「先般、書状にてお約束したように、この合
戦が終れば、秀秋殿には関白になっていただ
き、秀頼様の補佐をお願いいたします。その
ご確認を再度しておこうと思いまして……」
「それはおかしい。関白には総大将の秀家殿
がなられるのが筋ではないか」
「……」
 秀秋が三成の顔を見ると悲壮感が漂ってい
た。
(なぜこの男が柄にもない大仕事をしようと
しているのか)
 秀秋は切なさと歯がゆさが込み上げてきた。
そして今までとは違い、弟のように話した。
「三成殿。もはやこの戦、私がこの城を奪っ
たことで勝敗は決しています。毛利家は家康
に内通し、秀頼様を確保していることは三成
殿も感ずいておられるはずです。家康はいつ
死んでもおかしくない年寄りではありません
か。それに比べれば三成殿はまだお若い。仮
に家康が天下を取ったとしても跡継ぎにはた
いした者もおりません。ここは一旦、秀頼様
と共に身を引いて、しばらく我慢して時期を
待てば、いずれ必ず豊臣家に天下は帰するで
しょう。私がこの城を奪ったのは豊臣家を守
るためです。家康は私が説得します。三成殿、
どうか和睦を受け入れてください」
 三成は青ざめた。
「そのようなことは毛頭考えの及ばぬこと。
秀秋殿はご存知あるまいが、家康は異国の者
と手を組み、手に入れた大砲を使って戦を異
国の者らに見せようと和睦など考えてはおり
ません。そのような家康がもし天下を取れば、
いずれ異国が攻めてきます。それを家康の跡
継ぎが防ぎきれるでしょうか。もはや一刻の
猶予もないのです。私はこの一戦に全てを賭
けます。せめてこの城に残した兵糧と武器を
お渡しください」
「異国のことは私も心配しています。我らよ
りも強力な武器を作り、彼の地を次々と我が
物にしていると聞いております。そんな武器
や三成殿が揃えた明の武器を使ってこのまま
戦えばいまだかつてない死者がでましょう。
それで喜ぶのは異国の者ではありませんか。
秀頼様に天下を束ねる力がなく、三成殿にも
その意志がないのなら、今は異国の者を味方
にしてでも天下を取ろうとしている家康殿を
頼るしかないではないですか。ここにあった
兵糧や武器を三成殿にお渡しすれば家康殿に
疑われます。また多くの死者をだすことにな
ります。残念ですがこのままお引取りくださ
い」
 三成は言葉なく落胆し、一礼して立ち去っ
た。
 秀秋は三成の帰っていく後姿を哀れに思い
ながら見送った。
(三成の言うことも分かる。しかし豊臣家で
も異国から攻められれば防ぐことはできまい。
この戦がそれを示しているではないか。今は
家康に賭けるしかないんだ)
 三成は陣に戻ると迷いを断ち切った。今と
なってはこの大戦で自分たちの生き様を秀秋
に伝えるしかないと考えた。