【小説:小早川秀秋】身代わり | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:小早川秀秋】身代わり

 秀詮の死は病によるものと告げられた。し
かし、その秀詮の遺体のある寝屋にはすでに
秀詮の姿はなかった。
 秀詮は侍医、曲直瀬玄朔の従者の一人に成
り変り、深夜になるのを待って城内から出て
行った。
 寝屋にはすでに用意されていた棺桶が運ば
れた。その中には秀詮と背格好の似た病死の
遺体が納められていた。遺体は数日たったも
のらしく、十月の寒い時期で腐敗が遅いとは
いえ顔がむくんで誰だか判別できない状態だっ
た。
 玄朔の従者がそれを棺桶から出して布団に
くるめ、秀詮の身代わりとした。
 次の日、残っていた家臣らが見守る中、秀
詮の身代わりの遺体が棺桶に納められた。そ
して葬儀はしめやかに行われ、その死は道澄
法親王、近衛信尹(このえのぶただ)などの
公家からも惜しまれた。
 遺体が埋葬される出石郷伊勢宮の満願山成
就寺までの移動中には領民が大勢、沿道をう
め、狂った領主を恨むどころか多くの者が嘆
き悲しんで手を合わせた。
 領民は秀詮の狂ったフリをしている振る舞
いをうすうす感じていたかのようだった。
 秀詮の葬儀が済むと平岡は秀詮に側室や子
がいることなどまったく気づかず、跡継ぎが
いない小早川家が廃絶にならないように養子
を仕立てようとした。
 平岡は秀詮が毒殺ではなくあくまでも病死
したように装い、淡々と後始末をこなしていっ
た。しかし平岡の行動もむなしく秀詮の養子
は認められず小早川家は廃絶となった。だが
養父、小早川隆景には弟の秀包(ひでかね)
がいたので、そちらの小早川家が残り、毛利
一族との約束は果たされた。そして残ってい
た家臣の一部は毛利家に仕官し、それ以外の
家臣もそれぞれの居場所を見つけることがで
きた。
 すべてを整理した平岡は秀詮に最期まで忠
義を貫いたということで家康に高く評価され、
誰にも疑われることなく家康に召抱えられた。
 これで家康の憂いがひとつ消えた。
 それから間もなく小早川秀詮などこの世に
存在しなかったかのように世間から忘れ去ら
れた。

                【小説:羅山】に続く