【小説:小早川秀秋】秀詮の発狂 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:小早川秀秋】秀詮の発狂

 家康は誰もいない居間で、書物を見ながら、
独り言をつぶやいた。
「秀秋を備前と美作に国替えして間もない。
領民の中には前の領主、秀家を慕うものがま
だ多い。行って秀秋は西軍の裏切り者とふれ
まわり、まずは領民を離反させよ。秀秋の家
臣、平岡頼勝はわしが送り込んだ者じゃ。連
絡をとって城内に入り、秀秋に毒を盛れ」
 家康の後ろには床の間があり、掛け軸は家
康が三方ヶ原の戦いに敗れた時に描かせたと
いう頬杖をついた絵が掛けてあった。
「その毒を盛れば発狂する。一度に多く与え
過ぎず、すぐには殺すな。少しずつ与えて発
狂を長引かせるのじゃ。そうすれば世間は秀
秋が西軍を裏切り、三成に祟(たた)られて狂
いだしたと噂を広めてくれる。それがもとで
死ねば誰もわしを疑う者はいないだろう。人
を裏切ると祟られると思えば、徳川家に逆ら
う者もいなくなる。分かったな、行け」
 家康の後ろにある掛け軸が風もないのに揺
れた。
 それからすぐ刺客のひとりが平岡の手引き
で岡山城内に入り、料理番としてしばらくは
秀詮の信頼を得ることに努めた。
 稲葉は新しく入った料理番が以前に徳川家
に仕えていたことは平岡から知らされていて、
なんの疑いも抱かなかった。そのため料理番
は警戒されることもなく秀詮の料理を任され
るようになった。
 秀詮からも信頼を得た頃、料理番は秀詮の
料理に阿片を少しずつ混ぜ始めた。
 この当時、阿片のことは日本ではまったく
知られていなかった。
 家康のもとには関ヶ原の合戦で軍事顧問と
なったウイリアム・アダムスが三浦按針(あ
んじん)の名を与えられて家臣となっていた。
 按針は家康が薬草に詳しいことを知り、当
時では珍しかった阿片が人を狂わせる毒薬だ
ということを教えた。そこで家康は密かに阿
片を入手し、刺客に使わせたのだ。
 秀詮が狂いだしても侍医には原因を調べる
方法もなくどう対処していいか分からない。
ましてや家臣や領民に医学の知識などなく、
秀詮が徐々に異常な行動をし始めると、原因
が分からずただ恐れるばかりだった。
 こんなことがあると人は祟りなどの神がか
り的な力としか考えず、それを疑うこともな
かった。
 料理番は秀詮の発狂が深刻になっていくの
を確認し仲間達を呼んだ。
 しばらくすると秀詮の噂が広まり始めた。
「今度来た新しい殿様が狂いだしたそうな。
なんでも殿様は関ヶ原の合戦で西軍を裏切っ
たとかで、それがもとで死んだ石田三成様が
恨んで祟っているらしいぞ」
 悪い噂は尾ひれが付いて、あっという間に
広がった。
「殿様は阿呆だから西軍と東軍のどっちに味
方したほうがいいか分からんようになって、
家康様が鉄砲を撃つとそれに驚き、味方の西
軍を攻めたらしい。負けた大谷吉継様と石田
三成様はたいそう恨んで死んだそうな。それ
で祟られとるんじゃと」
 しかし秀詮の発狂は芝居だった。秀詮は家
康から備前と美作を与えられた時から警戒し
ていたのだ。
 荒廃していた領地を復興させれば家康から
その能力を警戒される。かといって荒廃した
ままにしておけば処罰する大義名分を与える
ことになる。どちらにしても生きる道はない。
そこで秀詮は藤原惺窩に伝授された帝王学の
教えを実際に試してみることを選び、その結
果、目覚しい復興を遂げたのである。
 このことは惺窩に知らされ、すぐに惺窩は
秀詮のもとを訪れた。
「これほどまでに効果があったとは」
 惺窩は自分の学問の凄さが実証できたこと
を喜んだが反面、秀詮の身の危険を案じた。
しかし秀詮は意に介していなかった。
「どのみち目をつけられるのなら、惺窩先生
の学問が実を結んだことだけでも後世に伝わ
れば本望です」
 秀詮はすでに覚悟を決めていた。しかし、
どうしても護りたいものがあった。
 秀詮と正室、古満との間に世継ぎとなる子
はいなかったが、誰にも知られず囲っている
側室に一男がおり今また、もうひとり身ごもっ
ていたのだ。