【小説:小早川秀秋】逆転勝利 | 関ヶ原の合戦を演出した小早川秀秋

【小説:小早川秀秋】逆転勝利

 秀秋は大谷隊の崩れていくのを確認すると、
その勢いのまま西軍の島津隊に向かうよう叫
んだ。
「島津を攻めよ。われに続け」
 その途中、稲葉、杉原に合図を送り東軍が
苦戦していた西軍の総大将、宇喜多秀家の部
隊の攻撃へ応援に向かわせた。
 東軍は大谷隊が総崩れになると気勢をあげ
て西軍に襲いかかった。
 火箭の攻撃で苦しめられた島津隊に次々と
東軍の井伊直政、松平忠吉、本多忠勝らの部
隊が押し寄せる。それに混じって小早川隊が
島津隊を包み込んでいった。
 逃げ場を失った島津隊は四方を東軍に囲ま
れ後退することができなくなった。そこで島
津義弘がとっさに叫んだ。
「残った火箭を発射後、突っ込む。全員、後
に続け。発射」
 その声を合図に残った火箭が発射された。
すると火箭は東軍の一隊に飛び込んで炸裂し
た。そこにいた将兵は業火に包まれ、身体に
火がついて逃げ惑い散らばった。その業火に
飛び込むように島津隊が突き進んで逃亡をは
かった。
 秀秋は総大将として参加した朝鮮出兵で、
島津家の進言で所領転封の恥辱をうけたこと
を思い出し、その悔しさから我を忘れて猛追
した。その勢いは誰にも止められなかった。
 秀秋の意志が乗り移ったように小早川隊は
島津隊を執拗に追った。そして秀秋はそのま
ま関ヶ原を退去するように小早川隊に合図を
送った。
 戦では何が起きるか分からない。特に終わ
りかけの混乱で家康が小早川隊を攻撃する可
能性もあったからだ。
 家康の目の前を島津隊がかすめて駆け抜け、
その後からすぐに秀秋を先頭に小早川隊が駆
けていった。
 家康がのけぞりながら叫んだ。
「やつを追え」
 そして後ずさりして尻餅をついた。
 慌てて駆け寄る家臣に家康の号令は聞こえ
ていなかった。
 家康の側にいたアダムスは日本人の戦い方
の多様さに呆然とし恐れさえ感じていた。
 戦場を抜け出た島津義弘の甥、豊久は逃げ
る途中で東軍の部隊に追いつかれ戦って討死
した。そして阿多盛惇は義弘に成りすまし自
刃した。
 島津隊の千五百人の兵が最後まで残ったの
は義弘を含め八十数人という無残な状態だっ
た。
 最初から戦っていた部隊が疲れていたとは
いえ、あれだけこう着状態が続いていた戦い
も、小早川隊が出陣してわずかな時間で東軍
の逆転勝利が決定的になったのだ。

 戦いの余韻が残る関ヶ原。
 三成が逃亡し、誰もいなくなった陣屋は荒
れ果て、つかの間の勝利に沸いた残像が消え
ていった。
 家康は少しとどまり、お茶を飲もうとする
が手が震えて定まらず、やっとのことで飲ん
だ。
(かっ、勝った。これが秀秋に惺窩が伝授し
た兵法か。しかし、それを実践したあの小僧、
恐ろしい奴じゃ)
 家康は合戦後、藤川の高地にあった大谷吉
継の陣屋に移動し、諸大名の拝謁に応じた。
 集まった諸大名は鎧を脱ぎ、酒を浴びるよ
うに飲み、誰もがあわや負け戦からの勝利に
酔いしれていた。
 家康は次から次へと諸大名の祝辞を受け、
それに満面の笑みで応えねぎらった。
「皆、無事でなによりじゃ。皆のおかげで大
勝利することができた。ありがとうな。あり
がとう。ありがとう」
 頭を下げる家康。
 一同は、天下を取った家康に平伏すとまた
騒ぎ出した。
 満足そうな家康だが、目は怒りに満ちてい
た。
 家康は不満だった。戦いに勝利はしたが三
成はまだ逃亡している。なによりも三男の秀
忠がとうとう最後まで間に合わなかった。
 この戦いは後継者に選んだ秀忠の働きで一
気に片をつけ、徳川家の力を思い知らせたう
えで天下に号令しようと企てていたのだ。そ
の段取りが全て狂った。もとはといえば自分
が家臣をせきたてるような発言をして勝利へ
の欲をかきたて、秀忠の到着を待てなかった
のが原因だが、年のせいか気が短くなってい
ることに、この老人は気づいていなかった。
 家康はお祭り騒ぎで気が緩んだ諸大名の姿
を見てため息をついた。そしてよく見ると秀
秋の姿がそこにはなかった。
(そういえば、秀秋はまだ挨拶に来てないが
どこにいるのか)
 家康は家臣を呼んで秀秋を探しに行かせた。
それと入れ替わるように別の家臣が来て、家
康のもとにひざまずいて告げた。
「秀忠様がご到着なさいました」
 家康が今、一番聞きたくない名だった。
「わしは会わん」
 家康の怒りを感じた家臣は一礼して、そっ
とその場を退いた。
 家康は怒りと情けなさに地団駄を踏んだ。
 しばらくすると諸大名がざわつき始めた。
 怒りが少し治まりかけた家康の耳に、諸大
名のざわめきが聞こえ気になって、皆が顔を
向けている方を見て瞬間に表情が凍りついた。
「何じゃ、あれは」
 それは騎馬隊が整然と列を連ねて近づいて
くる様子だった。その数、三百騎。
 騎馬隊の先頭には鎧を身にまとったままの
秀秋がいた。
 皆、一瞬にして酔いが醒め身構えた。
 家康は恐怖で顔が引きつった。
(秀秋が何を……)
 秀秋は騎馬隊を停め、自分一人馬から降り
ると、家康にゆっくり近づいてひざまずいた。
「家康様、まずは合戦の大勝利、おめでとう
ございます。しかしながら、いまだ三成が逃
亡して行方が知れず、その追討と三成の居城、
佐和山城攻めの先鋒をこの秀秋にお申しつけ
ください」
 家康は戦いに遅刻した秀忠や諸大名の気の
緩みとは対照的な秀秋のそつのない態度に涙
を流して感激した。
「秀秋殿、よくぞ申された。よろしく頼む」 
しかし心には不安が渦巻いていた。
(徳川家はいずれ、こいつに滅ぼされる)
 秀秋は一礼して立つとすばやく騎乗し、馬
を走らせた。それに続いて騎馬隊も秀秋を守
るようにつき従い去って行った。
 あ然と見つめるしかない諸大名。
 家康の目が企みの目に変わった。
(あれが我が子ならばのぉ。ほしいことよ。
災いの芽は摘まねばなるまい)